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Speech is silver, silence is golden.


制作物の進行度合いについて報告する前に、

無言で次の記事を書くには、 

どうにも自分の気持ちに踏ん切りがつかないので、投下してみました。

上手く話をまとめられるかは分かりませんが、件の災害の影響は、

我が胸に去来したわだかまりを、そっと吐き出させてください。


知り合いの鋭気に満ちた若いお医者様などは、

急遽スケジュールを調整し、実費にて現地へ飛び、

ボランティアに飛び入り参加するといった、なんとも活力に満ちた行動に挑戦したそうですが、

既に参加は一足遅く、居てもやれる仕事がないので……、と3日もたたない内に撤収してきたそうです。

余所者だからとか、陰険な隔たりや垣根があったわけではないけれど、

行ってみたところで仕事を見つけることは至難の業らしく、

現地のほうで巧くやっている仕事の調整や復興の妨害にもなるし、

折角の客人を軽んじるわけにはいかないからと、要らぬ接待をさせてしまうのも意図しないこと、

結局大したことは何もできなかったようです。

そう考えると、やはり人間とは他人が想像するより遥かに強かで、

挫折や喪失で立ち上がれもしないだろう、可哀相にと、

近所の野良猫や犬に向けるような視点と偏見で物事を捉えると、

甘酸っぱいような、何やらヤキモキとした、挫きを経験するらしい。

それでも、彼が出した金の対価は、架空の数字以上の価値を持って、

現地での視察と交流は、良い経験が出来たに違いない。

ただ、復興はまだまだ完全な状態とは言えないらしく、

学校に寝泊まりしている600人の人間に対して、トイレが6個しか用意されていなかったなどと、

状況の一部を聞いては、

不自由さの改善が満足するには程遠く、傷心が癒えるにはもっと長い時間がかかるのでしょう。

ちょっと私はそういった参加の仕方は出来ないので、

後日、信用できる組織や団体宛てに、自分の財布から間接的な心付けすることに致します。

もちろん、ダイアナ妃ほどの莫大な資産を投じると、別の争いの火種になるからしませんが。

お金はまぁ、大きな野望の達成の力になって、命と時間の次くらいに大事なものなのでしょうが、

例えば、発展途上国のスラム街の腐臭漂う出店で行き交う貧者の緩慢な金の流れと治安の劣悪さ、

そこから遠く離れた場所に小綺麗な住居を構えた、2割程度の富裕層が出す莫大な金の流れと生活の幸福、

そのどちらも人の手から流れる金は、利潤の規模こそ違えど、本質的には同じものであるはずで、

じゃあ貧富の差が無くならないのは何故だろうと考えたら、

経済以外の、人間社会の事情の問題が沢山出てきて、その全てが金で解決できる問題ではないし、

なんだか虚しい状況の打開点はと鑑みれば、超古代から連綿と続いていて、

今日までこれといった解決を見ない超難題です。

どうすればいいかは妄想中で、いつも就寝前の賢者タイムのついでに、

世界平和のための最善の方法など妄想してみても、私の頭では考えも及ばず、

困ったことに時間は有限、無言の圧力は暴力と言ってもいい、

明日の仕事がお待ちかねなので、疲れて寝てしまいます。

なので、難しいことは分かりませんが、一日でも早い復興を祈っています。


それから以下のものは、

普段から汚い落書きの酔狂に筆を遊ばせる三流絵師の側面、

三流魔術師の、真意が届くかどうかの実践も兼ねた贈り物です。

こういったことは、どうやら個人の地位や利益といったものとは切り離し、

分別をつけたほうが良いみたいで、

あれやこれやと考えあぐねて、こうしようと心に決めました。

期待されるほど確かな物はありませんが、

善意とは不確かな物に違いありませんから、

どうぞ、お納めください。


2011423.jpg

「同情」

「われわれはみんな、他人の不幸を平気で見ていられるほどに強い」

という言葉を残した人間は、ラ・ロッシュフコオですが、

見事な皮肉は、誰1人として例外のない人間心理を巧みに言っています。

人間の中には他人の不幸に同情して心中する、病的な感傷家もごく希にいるが、

死出の旅まで道連れになっていたら、誰が世の情けを伝えてゆくのだろう。

常日頃から他人の不幸を喜び、自分以外は仮想敵と認識し、

世界征服の方法については研究熱心で、言葉の暴力は罵声と嘲りと、

人を貶め辱める快虐を愉しむ彼女ですら、時に理性的な態度で敬意を示し、

気の毒顔の義理と、投げかけるべき台詞を知っている。

光るもの以外の価値を、人はパンのみにて生くるにあらず、という温かさを知っていて、

彼女の情は演技でもなければ、嘘でもなく、金銭によって強弁されるようなものでもない。


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「独善」


我が日本は幸せなことに、1990年代後期にマザーテレサによる教示を受かった。

彼女は難しいことは言わなかったが、時代を超えて存在できる人間だった。

「愛はまず手近なところから始まります。」

けれどもそれは、私らの善意を褒めたものではなく、

「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。」

というカルカッタへの寄付は慈善事業をした日本の企業に対する、警告から続くものだった。

あなた方の行為は善意ではなく、たんなる売名行為に過ぎないのではないか、

痛烈な仄めかしにも取れる台詞は、世界に通用しない偽善の感性を指摘されたのかもしれない。

けれども言葉の含蓄について、誰も深くは読み取ろうとしなかった。

そうして2005年、日本政府は中国へのODAで金を毟り取られ、どころか反日の感情すら高まり、

更に謝罪と賠償を数の正義によってさせられ続ける、歴史に残るトラウマを味わった。

1979年から暗黙の内に続いていたこの日本流の善意について、マザーテレサは知っていただろうか。

2005年といえば、中国や韓国といった特定アジアとの犬猿さが絶頂になった時期だが、

その頃の時間を、日本の日曜日の朝は時間で説明すると、

ちょうど「仮面ライダー龍騎」から「仮面ライダー電王」くらいまでがやっていた時期に当たり、

「プリキュア」がまだたった二人しか居なかった時代も合間に入る。

私ら庶民に小難しい情報は流れてこないが、

横暴や不満といった精力は、暗黙の内に風刺として作品にも滲み出る。

私らは無関係な弾かれ者ではないし、無関心を決め込み野放しにする姿勢は、

被害者というより、それよりも卑屈な、被害者を装った加害者の側である。

「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。」

と、角川文庫の奥付には記載があり、混沌・未熟・歪曲な日本人の怠慢に宛てて、

良識ある学芸や教養が、秩序と確固たる基礎をもたらすという、金言がある。

けれども、無知と蒙昧がもたらす人災の不幸が回避されず、

愚かな歴史のごとく繰り返されているのは何故だろう。

乱痴気騒ぎに参加して、自分を二束三文の値段で売り飛ばし、

俺は君らのような人間よりも良いことをしたんだぞと主張しなければ気が済まない、

安逸や遊惰を信条としているかのような愚昧な輩は大勢いる。

例えば、被災地の人間が心の底から寄付を渇望してやまなかった、

毛布や、食料や、携帯用トイレや、赤子のおむつや、

暖をとるための道具といった、金が解決する現実的な問題については沈思せず、

政府は無能、同胞は役立たず、我こそは誰よりも善意ある人間であると、

しゃしゃり出てきた無頼の狼狽え者たちは、

こぞって自分たちの独善を押しつけた。

有名人の折り鶴や、有名作家の描いた絵や、芸能人のエッセイや、

有名スポーツ選手の演説、100万円ちょっとの寄付金。

バラバラ死体事件の死体遺棄現場を、

まざまざと見せつけられているかのような煩わしき騒擾は、どうしたことか。

我が同胞は、見て分かる惨状を前にしても、一歩身を引く理性を持ち得ず、

自分たちの虚飾を脱ぎ捨てることができなかった。

悲劇の舞台に、煌びやかな衣装をまとって汚れることをしない連中は、

いったい何のために他人の不幸に馳せ参じたのか。

その装いは場違いでおかしいと、誰も暴慢に歯止めをかけることができなかったのは、

善意の強大さについて知らず、無関心だったからだろうか。

彼らの行いが正しいとして、では今まで善意ある人間は、どこで何をしていたのだろう。

人の不幸に名を挙げた心優しい人間たちが三日坊主な無知者でなければ、

この日本には、浮浪者も、自殺者も、堕胎者も、病苦に蝕まれる者も、家庭内暴力も、学校の虐めも、

常に国家が抱える暗鬱とした病理を、もっと減らすことができるはずなのに。

嗚呼、まったくもって嘆かわしい、

もしもこの国に偉大なるゼウスが居たならば、

太陽神の息子のように、意のままに御せもしない火車に乗って、

はた迷惑に暴走し、天地にカオスをもたらす不埒者すべてに、

審判の雷霆(いかずち)をお与えいただきたい!

彼らがみな私欲によって自滅してくれれば、私はいつでも彼らの愚行を、

その高き望みはげにも尊きと、目に涙を浮かべ、褒めそやすことができるのに!

(ギリシア神話でアポロンの息子は、親が日の出の仕事に使う、

燃える火車(力や権威)を無理を言って借り受けたが、思うように扱えず、

人間の住む地上(秩序)を焼き尽くし、最高神ゼウスの投げた雷によって、自滅した。

けれども、古代ローマでは死者を褒めよ、が通例だったため、

民衆は、ざまぁwwwと気色の悪い芝生を生やすような感情的で俗悪なことはせず、

誰が見ても分かる彼の愚行をも、困難への挑戦の美徳とした。

上記の話は揶揄を用いた皮肉だが、何を言ってるかサッパリ、といった人間は、

フランスなど西洋圏の小芝居や漫才を見た時、

比喩や隠喩の巧みさに衝撃や感動を覚えることもなく、

松本人志のような特異な才能で世界に挑んだ日本人と同じ轍を踏み、遺憾に毒される。)

そして、教えてくれ淫魔さん!

なにが僕の同胞をここまでおかしくしてしまったのかを!!


2011424.jpg


……迂闊だった。

狂熱に焼き焦がされて危うく灰燼にまで帰すところだった。

感情は我が身の冷静さを欠く情熱で、自制が効かない時は、彼女の冷笑は有り難い。

私もまた、善悪について考えることが出来る人間だが、

善悪とは何かを知らず、善意を行使する人間には適当であると言えないらしい。

吉村昭の「脱出」……。

悪魔さんはいま、魂を敗戦直後の沖縄にでも遊離させてるみたいだが、

私を含め、世の幸福者は、善意を実行するにあたり、何の苦痛を耐え忍んできたのだろう。

世の幸福を憂い、善意が利権への固執でなければ、それは既存の幸福価値への挑戦であって、

迂闊に怠惰の姿勢を投じれば、世間の風評に晒され、妬み嫉みの怨嗟の応酬は避けられないと、

自分以外の善意者の存在を理解している人間なら、武を弁えることができたはずなのに。

少なくとも無知や蒙昧や貧困の状態にあっても、自己の欲求を抑制することはできたはずで、

目先の利益よりももっと大事な、正しき人間としての品格や尊厳といった美徳として機能し、

個人の尊厳は国家の枠組を超え、世界にまで通用すると理解していたはずなのに。

被災地に災害をもたらした人間の態度は、本来なら、悪しき評判の汚名となって刻まれなければならない。

評価の基軸が甘いから、道理に敵わぬ人間が予選を通過し本戦で自己の主張を表現できるわけで、

それを食い止める民衆が被害者意識に凝り固まって泣き寝入りするだけでは、教育は成り立たない。

彼らが今後の善意で、名誉を挽回してくれることを、祈ってやまない。

正しき行いも基軸がぶれていては偽善に終止するからだ。
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魔術師見習い、催眠術師見習い、変態見習い、中途半端な称号ばかり。ただの三流絵師でございます。

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